医師+αを模索する一番確実な方法だから
医師というのはかつては尊敬され、聖職であり、プロフェッショナルであり、不可侵な職業・カルテルであったと思います。
ですが、爺医の肌感覚としては今後このような状態はどんどん崩れていくと思います。
医学部に入るとか国試に通って医師になるだけでも結構大変でさらに+αとかいらねえよ、立派な臨床医になればいいんだよ〜
というような声が聞こえてきそうです。今後医師はcommodity化して(今でもしている)いき、今のような既得権益感(絶対にそうとは言わない)は薄れていくと思います。
多かれ少なかれ、使命感ややりがいを感じて医師を目指した、なった人がほとんどでしょうが、果たして10年後今の賃金の1/3~1/2で同じ業務をこなせるでしょうか?
自分はそう考えた時にリスクヘッジの一つとして米国のライセンスを取るということを考えました。
(爺医が米国に行く理由は麻酔を学びに行くとか、人のつながりとか、色々ありますが、その中の一つとしてコモディティ化をさけるというのがある、ということです)
米国のライセンスを取ること自体かなり大変なので学生の時はブログは書きませんでした。書いている人のは大いに参考にしていましたが、自分自身は書く時間があれば勉強できるはずというスタンスだったので。。
今になって一段落ついたので色々と書き始めています。
ブログはWordpressというサイトをつかって、ドメインというネット上の住所のようなものもお金を払って今このブログを書いています。
え?アメブロとかはてなブログとかなんならSNSでもいいじゃん?
と思われるかもしれませんが、せっかくかくならそのサイトに広告を乗っけて副業のマネごとをしてみたかったので、お金をはらってブログを書いてみました。まだ収益は出ていません。赤字です。
それでもそれによっていかに読んでもらうか、自分というコンテンツを世の中にだしたら(その出し方も含め)、どれだけの価値があるのか客観視できて非常に勉強になっています。
要はブログをかけるだけのことをしているか?
別に承認欲求がないかと言われれば嘘ですし、どちらかといえば前にでることに何の躊躇もないパーソナリティですが、一応匿名でやっています。
要はブログをかけるだけのことをしているか、していなくてもいい、医学生・医師+何かをしているか?
世の中に発信して価値があると認められるだけのコンテンツを今後所有するために何かを考えているか?
というところがこの話のみそです。
例えば、本気で家庭教師を掛け持ちしている・全然関係ないコミュニティで運営をしている・世界一周をしたことがある、何でもいいと思います。
それをブログにするかどうかも極論どちらでもいいです。
ただ、何か考えて動いているか、というところが例えば、ブログを書けるだけのことをしているか、というのがわかりやすい指標かなと思い今回のタイトルとしました。
ここまで書いといてなんですが
ここまで書いといてなんですが、臨床がめちゃくちゃできる人は無条件に爺医はすごいと思います。やはり知り合いでも職場でも同級生でも、
「この人になら、自分や自分の家族がみていもらいたい」
というレベルにすごい人・医療者として尊敬できる人というのは少なからずいますし、その価値を貶めるつもりは毛頭ありません。
というかそういう人に爺医は勝てる気がしないので、
(しかも意地悪い言い方をすればそのレベルの人ですら生き残ることができる保障がない時代がきている気がするので)
私はちょこちょこ人と違うことをやっていこうと思います。
脱コモディティの祖
ちなみに爺医が繰り返している「脱コモディティ化」というのは確か瀧本哲史先生の著書で学びました。
com・mod・i・ty | kəmɑ́(ː)dəti|-mɔ́d- | 名詞複 -ties | -z | C1 〘経〙 (サービスに対して)産物, 商品; 日用品(goods) ▸ a scarce commodity 欠乏物資 ▸ basic commodities 生活必需品 ▸ commodity price 商品価格, 物価. 2 ⦅かたく⦆ 役に立つ[便利な]物 ▸ a valuable commodity 価値ある物. ~́ exchànge 商品取引(所).
ウィズダム英和辞典
ということですが、世の中にありふれた人材ということをここでは差します。医師なんて、コモディティ化の対極!と思っている人もいれば(そう思っている人はおそらくコモディティ化という単語もしらない)、あらゆる職業は常にコモディティ化をたどると思っている人もいると思います。
自分はどちらかといえば後者なのですが、日本の医学部にいてそれに気付かないのは仕方ないことだとも思います。
日本の医業は海外から見たら、system的にも言語的にも障壁がかなり高いので、日本のpieだけの中で調整ができています。
かつ医学部入学以降はほとんどの人にとって、医師として最低限生きていくための競争はないに等しいので、逆にどれだけ頑張ってもある程度の範疇に収まってしまいますが、そのような仕組みの中で生きています。
ですが、今後日本が外国人医師を受け入れない保証はないし、医師の給与を減らして日本人医師を増やさない保証はないし、テクノロジーによって医師の需要自体が減らない保証はないし、医学部入学後に競争が激化して行ける科が限定されない保証はないのです。
自分は海外通だとドヤる気はないのですが、これらのシナリオのほとんどがどこかの外国のリアルだったりします。そして日本という国はとても住みよい素晴らしいところで、そこで医師としてやりがい・収入・安定性のバランスのとれた職業をこの先50年間するというのはとても魅力的なことだということは疑いようのない事実だと思います。
でも、その前提が覆る可能性はすぐそこまできているんじゃないか?なんて思ったりもします。
2020年は感染症のアウトブレイクによる前例のない異例続きの年度始まりになりました。
リモートワークや自粛、医療資源の枯渇など今後何かが大きく変わる節目になるかもしれません。その時、自分はどうするか?
誰にもわかりませんが、選択肢を増やしおくことは間違っていないと思います。
話の長い爺医でした。さいごまでよんできただきありがとうございます。
なにかご意見あればtwitterなりコメントなりによろしくお願いいたします。
今日の格言
“Imagination is more important than knowledge. Knowledge is limited. Imagination encircles the world.”
—Albert Einstein
Referenced in “Plain Sight” (Season 1, Episode 4)
爺医の意訳:想像力は知識より重要だ。知識に限りはあるけど想像力は世界をつつみこめるくらいに広がっていくじゃないか。