ブログで簡単に分かる アメリカ留学 キャリアデザイン 医学生が知っておきたいお金と時間の話 研修病院選び

ひとまず報告…

twitter上では派手に報告しておりましたことをここでも報告させていただこうと思います。

2020年よりアメリカで働けることになりました!!!

(普段はブログでは淡々と語っていますが今回はちょっとスタイルを変えて書こうかと思います)

一番勉強した学生時代:4-6年生

いや、ここまで長かったですよ。一番は自分を支えてくれた家族に感謝です。

そしてモチベーションを保つのに本当に色々な方に相談させていただきました。

実はモチベーションとしてはstep1の直前が一番高かったです。

step1を本格的に勉強し始めたのCBT終わりの4年初め頃ですね。

これにはライバルとか周りの環境も大きいと思います。

自分の大学はusmleを勉強している人が1学年に2−3人は普通にいて、(多分日本に東大が一番多い)

自分のプライベートでの親友かつポリクリ班の相方がUSMLEを勉強していたので、実習が終わったら、ずっと一緒に勉強していました。

(正確には僕が勉強し始めて焚きつけた部分もありますが)

もともと負けず嫌いなのでよく知識を競い合ったりしました。

そんな親友Aは今は都内の超有名病院で外科医としての腕を磨いていて、いずれfellowshipで留学するつもりらしいです。

生涯の友ですね。

また、当時の彼女(今の嫁)も海外志向がありかなりサポートしてくれた部分も大きいです。とにかく環境には比較的恵まれていたと思います。

step1をなんとか国試直前に受けて高得点を出してから数ヶ月後に日本の医師国家試験を受けました。

初期研修時代 東京編

マッチングはそこまで勉強していなかったですが、なんとなく留学の情報は関西より都内にあるだろうという理由で比較的余裕のある病院へ。

実は都内の有名市中病院も受けていたのですが、そちらの方が給料もよく・同期も勉強してそうというイメージだったのですが、諸事情により大学病院を第一希望にしました。

初期研修では予定通りdutyが少なめな大学病院でCK,CSをしっかり対策するつもりでした。

そこで現在200人規模の臨床留学を考える医師・医学生のLINEグループの長であるX先生と知り合い、またブログで有名なだっさん先生にもあったりして(あと瀬崎先生とも一瞬飲んだ)、やはり東京に来てよかったな、と思う爺医。

初期研修もマンモス病院の中で一人だけ学生時代にECFMGをとっていた超超優秀な同期をみつけ一生の友に。ほくほく。

ですが、都内でUSMLEのコミュニティに入った瞬間自分の数年後を行っている人に何人も知り合うと

「CSが難化しているから早くうけろ!!」

とお達しが、、、

というわけで初期研修のほとんど2年間をCSに費やしました。かなりの試行錯誤・時間・気持ち・お金をかけてなんとか2年目の9月に合格。

この試験がなんとも理不尽でお金と時間を費やす試験でした。。

今からやり直せばもっと効率よく受験できていたのかもしれませんが、2度とうけたくない試験ですね。

CKを残した段階、かつ予定だと臨床研究もちょっとかじったような状態で初期を終わるはずだったのがそれもできず、(minecraftしてとたとかは言えない)

後期研修へ

(個人的には循環器内科はかなり楽しかったです)

充実の後期研修

後期研修は学生の頃から行くと決めていた病院へ。

自分以外に臨床留学する気のある人は誰もいませんでしたが、私の考えを否定する人もなく皆さんあたたかい。。

後期研修はマッチすれば途中で抜けてもいいという相談前提で1年間麻酔の経験を積みながらマッチングに突入。。。

ここもかなり大変でした。

まず、大学病院の麻酔科ですが、ガッツリ医局員としてフルタイムで働いていたので、学び・充実感・給与という面では申し分なかったですが、留学のための時間がつくれず、というか帰ったら疲れて寝てしまうことがほとんどだったのでそこがきつかったです。

(例えば海軍病院にいれば。。などと考えたことも一度や二度ではありませんでした)

怒涛のマッチングスケジュール

マッチングの旅についてのちに記載しようと思いますが、おおまかな流れでいうと

4-6月 マッチングについての情報を集めだす。律速となる書類:推薦状・MSPEなどのお願いをやんわりと始める。PS/CVなどを真剣に作り出す

9月書類の締め切り 必死で推薦状などの調整やお願いの時期 ここかなり辛かったです (本命病院の見学・視察も)

10月マッチングスタート!! 応募は総勢150プログラムくらいして、書類選考でほとんど切られる。徐々に面接に呼ばれ始める。私の場合は諸事情により後半に面接を固めました。後から考えれば分散させてもよかった。(アメリカ麻酔科学会でポスター発表兼就職活動)

11月特になんもなし step3の勉強

12月 面接をどんどんやっていく5プログラムくらい? 日本滞在約1週間 年末にstep3を受けて 少し帰省

1月 さらに面接を1/5~1/23 までに6個くらいうけて 面接終了!!!

2月 結果待ち ゲームし続けて心を休める

3月 マッチ確定!!ビザの書類に取り掛かる

4月 常勤をtaperさせてもらいつつ5月の資金集めと渡米準備にかかる

というような流れです。今は例のウイルスでかなり特殊な状況ですがなんとか渡米の見通しをたてて頑張っています。

マッチするまでの心境ですが、実は麻酔科のマッチングのシステムって結構複雑で確実に落ちないように工夫はしたし、面接に呼ばれた数的にはほぼほぼアンマッチはしないだろうと思っていたのですが、それでも生きた心地はしませんでした。。

それでUSMLE勉強を始めてからマッチングに至るまで予想外にうまくいくこともあれば、躓くこともあって一筋縄ではいきませんでしたし、最後はなんかもう仏のメンタルだったので、喜びとかいう感情もあまりありませんでした。

即受容ですね。

SNS等で質問していただければなるたけ返します。

今回の発表は2020年3月末に米国レジデンシーマッチに合格したことを報告がメインなので情報量少なめでした!

最後に

夢は見るもんじゃなくそう叶ええるもんでしょう? 

というONE OK ROCKの初期の曲ですね。

別にこれをずっと聞いてたわけではないんですが、

尊敬するアメリカ麻酔科医の先輩は

「諦めなければ絶対にアメリカで働ける」

そう言われ続けました。その先生はいろんな逆境をはねのけて私の目標であり続けている先生です。みなさんも長い道のりかもしれないですが、道中の景色を楽しむつもりで頑張りましょう!!

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