この記事の目次
高偏差値医大を目指すべき3つの理由
2020年は感染症の年となり世間の医学部志向は加速していくでしょうか。
医学部受験をする際にどこを目指せばいいのか悩んでいる方は多いのではないでしょうか。
もちろん希望の大学に行けることが一番ですが、自分の成績や家庭の事情で何もかもうまく行くとは限りません。
本記事は悩める受験生とその家族に現役医師がリアルを語ります。
元再受験生の花咲爺医です。
医学部受験して10年近く経ちますが、高偏差値医大を目指すべき理由について、また逆に
目指さなくてもいい理由について話しておこうと思います。
経歴
(この段落は自己紹介も入っていますので、結論から知りたい人は目次から飛んでください。)
私自身は自称再受験生です。
自称というのは
- 学士入学・編入をしていないこと、
- 再受験生をすると決めてすぐに大学を休学したので、
- 典型的な仮面浪人や学士の勉強をしていないので
そう言っています。
自分の高校の公立の進学校で、200人くらいいて理系が100人くらいでしょうか。
上位10%のうち9割は京大の理学部・工学部に行き、
まれにいる医者家系の人が国公立医学部を目指していました。
爺医はTopでもなんでもなく、英語と物理が得意な学年10番手くらいでした。
勉強自体は嫌いではなかったですが、
絶対にいい大学に入ってやる!!
とか、やっきになることもなく、サッカー部と軽音部を兼部して
(サッカー部はすぐやめましたが)
高校2年までは無為にすごしていました。
テスト前は多少勉強しましたが、彼女と遊んだり、友達とカラオケに行ったりする感じのなんともしまりのない生活をしていたと今も思います。
現役で京都大学の工学部に入学しましたが、
大学レベルの数学や物理実験が面白いと感じることなく、
また今後もずっと仲良くしていきたいといえる感じの人間関係もできないまま、
1年が過ぎようとしていました。
そんな折、突然の家族の死を経験し、自分の中で何か糸のようなものが切れた感覚がありました。
家族を救えたとか、そういうのではないんですが、なんとも形容し難い無力感とこのままではいけないという焦燥感がピークに達して、なんとなくで入った工学部をやめて再受験する決心をしたのでした。
その後1年間休学し、京大医学部に再度受験して合格するのは1年後の話。
ちなみに再受験の際に勉強の仕方を180度変更したのですが、
その際にインスピレーションをいただいた本がこちら
あとは和田秀樹先生の本もかなり読みましたね。
とまあ、なぜこのような話をしたかというとその時に京都大学と京都府立医科大学の受験どちらにするかかなり迷ったんですよね。
それでその時は京都大学を選ぶメリットなんて何も考えていなかったなと思い、今そのような人生の岐路に立たされている方の役に立てないかという思い出この記事を書きますね。
ちなみに京都大学か京都府立医科大学かおそらくどちらでも私は人生を楽しめていたと思います。
京都大学で良かったなと思うことはありますが、じゃあ京都府立医科大学だったらだめだったかと言われるとそんなことはまったくないと思います。
レベルの高い同期と学べる・一生の財産
これは綺麗事でもなんでもなくて、生涯の役に立ちます。
ひとつはモチベーション面としてですが、在学中は何度もコイツらには敵わないなと思ったことがありました。
勉強の要領とか理解力とか記憶力とか。
これってどこでも起こりうると思うんですが、より偏差値の高い集団にいた時に何でも経験すると思うんですよね。
自分としてはこれが自分の価値を再確認するいいきっかけになったし、頑張るぞというモチベーションにも繋がりました。
もし自分が何でも一番じゃないと気がすまなくて、負けている状態が許容できないガラスのハートをお持ちでしたら、医者自体向いていないのかもしれません。
もし予備校や塾でそんな人を見かけたらそっとしておいてあげてください。
2つ目にコネクションですが、旧帝大出身の医師の方が全国的にみて大学教授のような位置には行きやすいというのは現状ではまだあります。
ただしこれは集団でみたときにそうだというだけで、もし教授になるのが夢だけど、難関大学に行けなかったからといってあまり気にしないでください。
日本で今一番有名な心臓外科医の教授も難関大学出身では有りません。
今は爺医は若手なので自分の同期も全然えらくなってないですが、
今後そのメリットを感じることがでてくるかもしれません。
学生時代の進級が楽なので他のことができる
意外かもしれませんが、難関大学の方が進級はしやすいです。
進級テストなどの数も少ないです。
これは医師国家試験という共通の6年後の課題に対して、
テスト処理能力は各大学ごとの生徒でバラバラなので、
必然的に大学受験が苦手だった学生たちは締め付けが強くないと
国試に落ちてしまうからです。
で、進級が楽だと何がいいかというと、自由な時間が増えるからです。
自由な時間は勉強してもいいわけです。
そもそも国家試験はあくまで試験なので、
効率の良い勉強方法を継続的に続けていれば理論上は合格するので、
全学生生活を捧げる必要はまったくありません。
ですが、締め付けが強いことで有名な医学部の学生を見ていると、学業というか理不尽な大学側の進級試験がかさみストレスと多様性の妨げになっていると思われます。
学生のうちに何か自分の強みをさがして伸ばしたいという方は難関大学をめざすといいかもしれません。
典型的な例としては基礎研究への参画などが挙げられるでしょう。
1年生から基礎研究のラボに通い続けて学生のうちに論文を書いていた同期・研究助手でお金をもうけていた同期もいました。
そのまま医学部卒業後ヨーロッパの研究室に直接就職や進学した同期が僅かながらにいましたが、大半は医師になります。
けれど長い医師人生のなかで基礎研究する人は結構いるので、学生時代の経験は貴重なものとなったはずです。
その究極系にMD.PhDコースというのがあります。
これは簡単に言うと医学部在学中にPhDという研究の博士号もとっておこうという比較的新しいコースで、同期と同時に卒業できませんが、研究者を目指すならそのようなコースが用意されている大学を目指してみてもいいかもしれません。
今後どんどん評価されていくはずの教育システムとなるはずです。
コンプレックスを感じなくていい
出身大学と医師の能力には関係がない
というのは広く知られていることなので、普段気にしている人は殆どいないはずですが、
それは私が気にしないでいい側の人間だからというのもあるでしょう。
自分は純粋に能力で人を評価しようと心がけています。(うぬぼれ)
自分の学歴をものすごく気にする人はたまにいます。
後は影で悪いように言う人。
あまり気にしないでおきましょう。
出世とは無縁の愚痴やヘイトスピーチです。
なお、高学歴だからといって、ちやほやはされません。
医学部の外にでたら、なおさら違いをわかっている人は殆どいません。
東大文学部と東大医学部と東大研修医とお父さんが東大出身も全部同じくらいの意味かもしれません。
これは難関大学に限らず医師全般にいえることですが、
もし人間性の面で問題があれば、
あの人勉強ばかりしてきたから
と言われかねませんし、
逆にちゃんと振る舞っていてかつインテリジェンスがある言動があれば、
さすが花咲爺医先生は、某有名大学出身だからこんなことも知っているんだね。
などと褒めそやされます。
世の中なんてそんなものです。
出身大学と関係ないもの(まとめ)
- 臨床能力
- 収入
- 個人の人間性
- 初期研修の選択肢
結論:自分次第最短でいける大学にいこう(特に再受験)
医師になるとかなりキャリアパスが多様化します。
ずっと大学にいる人
産休を取る人
専門医など興味なくフリーランスをする人
なので、一般的に医師卒後年数で上下関係がきまりますが、
あまり関係ない世界線が広がっています。
特に自分と専門分野が違う医師同士が会話する場合
お互い面倒くさいので卒後年数で敬語を使い分けたりしていますが、
例えば病院の中で公式にコンサルトする場合などはお互い敬語ですし。
何が言いたいかというと医師人生は長いので1年や2年の遅れはあまり影響はないです。
でもその数年回り道は医師になってから選択することもできます。
そしてその方が多様性や個人の能力に付加価値をつけれる数年になります。
もし弁護士になってから医師になりたいというキャリアパスを確固たるものとしてもっているならそれを止めることをしませんが、得てして医学部に入るまでの時間はキャリアにはプラスにならないこともあります。
目に見えない形ではなっているかもしれませんが。
なので、迷ったら行ける大学で医師免許をゲットしてしまいましょう。
今日の格言
6. “Nothing is so common as the wish to be remarkable.”—William ShakespeareReferenced in “L.D.S.K.” (Season 1, Episode 6)